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Channel: かけだし鬼女の、今が日本の一大事~よければ一緒に凸しよう!~【コチラは旧居です】
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安倍総理「世界一を目指していこう」所信表明と、尊重し合える真の友好国と共に歩む「開かれた、海の恵み」

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【天皇陛下のご臨席を賜り】第183回国会(常会)【開会式】


本日国会が召集されました!て!まだ国会始まってなかったのね!
びっくりするくらい、政府が働いていたからさ!安倍内閣イケーーーーー!!!!!!

【安倍晋三首相 所信表明演説 参議院 国会】


所信表明で「世界一を目指そう」宣言、キターーーーーー(超絶感涙!)
強い、日本を、安倍政権で取り戻そう!!!!!!!!!!
安倍晋三首相の所信表明演説要旨は次の通り。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol&k=2013012800439

アルジェリアでのテロ事件発生以来、政府は総力を挙げて情報収集と人命救出に取り組んできた。
しかし、世界の最前線で活躍する何の罪もない日本人が犠牲となったことは痛恨の極みであり、
ご家族の気持ちを思うと悲痛の念に堪えない。無辜の市民を巻き込んだ卑劣なテロ行為は決して許されるものではなく、
断固として非難する。事件の検証を行い、国民の生命・財産を守り抜く。国際社会と連携し、テロと戦い続ける。
 
【はじめに】
昨年末の衆院選を経て、自公連立政権を発足させ、第96代内閣総理大臣を拝命した。
私はかつて病のために職を辞し、大きな政治的挫折を経験した。過去の反省を教訓として心に刻み、
丁寧な対話を心掛けながら、真摯に国政運営に当たることを誓う。再びわが身をささげんとする決意の源は、深き憂国の念にある。
デフレと円高の泥沼から抜け出せず、50兆円とも言われる莫大な国民所得と産業競争力が失われ、
真面目に働いても暮らしが良くならない日本経済の危機。遅々として進んでいない東日本大震災からの復興の危機。
外交政策の基軸が揺らぎ、わが国固有の領土・領海・領空や主権に対する挑発が続く外交・安全保障の危機。
陰湿ないじめが相次ぎ、この国の歴史や伝統への誇りを失い、学力低下が危惧される教育の危機。
額に汗して働けば必ず報われ、未来に夢と希望を抱くことができるまっとうな社会を築くため、
政権与党に復帰した今こそ温めてきた政策を実現させ、国民と共に現下の危機突破にまい進する。
内閣発足に当たり、全閣僚に「経済再生」「震災復興」「危機管理」に全力を挙げるよう指示した。
危機の突破は、全閣僚が一丸となり取り組むべき仕事であると同時に、与野党問わず、
国政に携わる全国会議員が担うべき責任でもある。危機を突破せんとする国家の確固たる意思を示すため、
与野党の英知を結集させ、国力を最大限に発揮させようではないか。各党各会派の理解と協力を切に求めてやまない。
【経済再生】
最大かつ喫緊の課題は経済の再生だ。これまでの延長線上にある対応では、デフレや円高から抜け出すことはできない。
これまでとは次元の違う大胆な政策パッケージを提示し、断固たる決意で「強い経済」を取り戻していく。
経済再生の司令塔として「日本経済再生本部」を設置し、「経済財政諮問会議」も再起動させた。
この布陣をフル回転させ、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の「3本の矢」で、経済再生を推し進める。
金融政策は、従来の政策枠組みを大胆に見直す共同声明を日銀との間で取りまとめた。
日銀において2%の物価安定目標をできるだけ早期に実現することを含め、
政府と日銀がそれぞれの責任で共同声明をきちんと実行することが重要であり、政府と日銀の一層の緊密な連携を図る。
加えて、「緊急経済対策」で景気を下支えし、成長力を強化する。2012年度補正予算はその裏付けとなる。
「復興・防災対策」「成長による富の創出」「暮らしの安心・地域活性化」の三つを重点分野として、大胆な予算措置を講じる。
他方、財政出動をいつまでも続けるわけにはいかない。民間の投資と消費が持続的に拡大する成長戦略を策定し、実行していく。
iPS細胞が実用化されれば、新たな富と雇用も生み出す。イノベーションと制度改革は、
社会的課題の解決に結び付くことで経済再生の原動力となる。最も大切なのは未知の領域に果敢に挑戦をしていく精神だ。
今こそ世界一を目指そう。
世界中から投資や人材を引きつけ、年齢や障害の有無にかかわらず、生きがいを感じ、チャンスを与えられる社会。
男女が共に仕事と子育てを容易に両立できる社会。中小企業・小規模事業者が躍動し、
農山漁村の豊かな資源が成長の糧となる、地域の魅力があふれる社会。
そうした「あるべき社会像」を確かな成長戦略に結び付けることにより、必ず「強い経済」を取り戻す。
同時に、中長期の財政健全化に向けプライマリーバランス(基礎的財政収支)黒字化を目指す。
【震災復興】
東日本大震災の被災地は2度目の厳しい冬を迎えている。復興という言葉を唱えるだけでは何も変わらない。
政府の体制を大転換して行政の縦割りを排し、復興庁がワンストップで要望を吸い上げ、現場主義を貫く。
補正予算でも思い切った予算措置を講じ、被災地の復興と福島の再生を必ずや加速していく。
【外交・安全保障】
外交・安全保障も抜本的な立て直しが急務だ。その基軸となる日米同盟を一層強化し、日米の絆を取り戻さなければならない。
2月に予定される日米首脳会談で、緊密な日米同盟の復活を内外に示していく決意だ。
同時に、米軍普天間飛行場の移設をはじめ沖縄の負担軽減に全力で取り組む。
外交は、周辺諸国との2国間関係だけを見つめるのではなく、世界全体を俯瞰し、
自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値に立脚し、戦略的な外交を展開する。
本年は、日・東南アジア諸国連合(ASEAN)友好協力40周年に当たる。15年の共同体構想に向け、
発展を続けるASEAN諸国との関係強化は、地域の平和と繁栄にとって不可欠であり、日本の国益でもある。
今後も世界情勢を広く視野に入れた戦略的な外交を展開していく。
わが国を取り巻く情勢は厳しさを増している。国境離島の適切な振興・管理、警戒警備の強化に万全を尽くし、
国民の生命・財産と領土・領海・領空は断固として守り抜くことを宣言する。
アルジェリアでのテロ事件は、国家の危機管理の重要性について改めて警鐘を鳴らした。
テロやサイバー攻撃、大規模災害、重大事故などの危機管理対応にさらなる緊張感を持って対処する。
そして何よりも拉致問題の解決だ。全ての拉致被害者のご家族が自身の手で肉親を抱きしめる日まで、
私の使命は終わらない。北朝鮮に「対話と圧力」の方針を貫き、全ての拉致被害者の安全確保および即時帰国、
拉致に関する真相究明、拉致実行犯の引き渡しの3点に向け全力を尽くす。
【おわりに】
わが国が直面する最大の危機は、日本人が自信を失ってしまったことだ。
自らへの誇りと自信を取り戻し、今ここにある危機を突破し、未来を切り開く覚悟を共に分かち合おう。
「強い日本」をつくるのは他の誰でもない。私たち自身だ。(2013/01/28-14:29)

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感動の所信表明を紹介させていただきましたが、もうひとつ。

アルジェリア人質事件で中止されたインドネシアでの安倍総理の演説。
スタートしたばかりの安倍外交の明るい未来を感じさせる内容です。
今後の日本が東南アジアと友好を深め繁栄して行けるよう祈りつつ、全文をご紹介させていただきます!

開かれた、海の恵み――日本外交の新たな5原則――
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/25/abe_0118j.html

【平成25(2013)年1月18日,ジャカルタにて,安倍晋三総理大臣】
I 国益における万古不易
ご列席のみなさま,とくにインドネシアを代表するシンクタンク,CSISのみなさま,
本日はすばらしい機会をいただきありがとうございます。
本年でわが国とASEANの関係は40周年を迎えます。
節目に当たりわたくしは日本外交の来し方をふりかえるとともに、
行く末についてある決意を述べたいと思ってこの地へまいりました。

日本の国益とは万古不易・未来永劫,アジアの海を徹底してオープンなものとし、
自由で平和なものとするところにあります。
法の支配が貫徹する世界・人類の公共財として保ち続けるところにあります。

わが日本はまさしくこの目的を達するため、20世紀の後半から今日まで一貫して2つのことに力をそそいでまいりました。
それは海に囲まれ海によって生き海の安全を自らの安全と考える、日本という国の地理的必然でありました。
時代が移ろうとも変わりようはないのであります。

2つのうち1つは米国との同盟です。世界最大の海洋勢力であり経済大国である米国と
アジア最大の海洋民主主義であって、自由資本主義国として米国に次ぐ経済を擁する日本とは
パートナーをなすのが理の当然であります。

いま米国自身がインド洋から太平洋へかけ2つの海が交わるところ、まさしくわれわれがいま立つこの場所へ
重心を移しつつあるとき、日米同盟はかつてにも増して重要な意義を帯びてまいります。

わたくしは2つの大洋をおだやかなる結合として、世の人すべてに幸いをもたらす場と成すために
いまこそ日米同盟にいっそうの力と、役割を与えなくてはならない,
そのためわが国としてこれまで以上の努力と新たな工夫、創意をそそがねばならないと考えています。

これからは日米同盟に安全と繁栄をともに担保する2つの海にまたがるネットワークとしての広がりを与えなくてはなりません。
米国がもつ同盟・パートナー諸国と日本との結び合いは、わが国にとってかつてない大切さを帯びることになります。

海に安全と繁栄を頼るわが国の外交を貫いたいまひとつのモチーフとは、海洋アジアとのつながりを強くすることでした。

このためわたくし自身かつて、インドと、あるいは豪州と日本の結びつきを、広く深いものとするよう努めました。
また、発足以来8年を迎える東アジアサミット(EAS)がこころざしを同じくし、利益を共有する諸国の協議体として
2つの大洋をつないで成長しつつあることくらい、わたくしにとっての喜びはありません。

しかしながらなんといっても、ASEANとの関係こそはかかる意味合いにおけるわが国外交にとって、
最も重要な基軸であったのです。

そう考えればこそ、政治や通商・投資の関係において、平和の構築から域内連結性の向上まで
この地域においてわが先人たちは、いちどたりとも努力を惜しみませんでした。

無数の日本人がそのため働き、資本や技術経験が日本からこの地に向かったのであります。

わたくしどもが世界に打ち出し大切に思ってきた「人間の安全保障」という考え方にとって
大事な実践の場となったのもやはりこの地でありました。

2015年、みなさんがたASEANは名実とも共同体としてひとつの脱皮を遂げます。
こころからのお祝いを申し上げます。

インドネシアがその最も顕著な実例でありますが、法の支配と人権を重んじ、民主主義を根づかせる動きは,
ASEAN諸国を貫く基調となりました。いまやミャンマーも、みなさんを追いかけ始めています。
このことをわたくしは、うれしい驚きをもって眺めてまいりました。

万人のみるところ、インドネシアにはいま世界有数の幅と奥行きをもった中間層が生まれはじめています。
ASEANは域内の連結を強めながら、互いの開きを埋めるとともに、それぞれの国に豊かな中産階級を育てていくに違いありません。

そのとき世界はある見事な達成を、すなわち繁栄と体制の進化をふたつながら成し遂げた、美しい達成を見ることになります。

そしてわたくしは、ASEANがかかる意味において人類史の範となることを信じるがゆえに
日本外交の地平をいかに拡大していくか、新しい決意をこの地で述べたいと思いました。

II 未来をつくる5原則とは

それは次の5つを原則とするものです。

第一に2つの海が結び合うこの地において思想,表現,言論の自由――
人類が獲得した普遍的価値は十全に幸わわねばなりません。

第二にわたくしたちにとって最も大切なコモンズである海は力によってでなく、法とルールの支配するところでなくてはなりません。

わたくしはいま、これらを進めるうえでアジアと太平洋に重心を移しつつある米国を大いに歓迎したいと思います。

第三に日本外交は、自由でオープンな互いに結び合った経済を求めなければなりません。
交易と投資、ひとやものの流れにおいて、わたくしたちの経済はよりよくつながり合うことによって、
ネットワークの力を獲得していく必要があります。

メコンにおける南部経済回廊の建設など、アジアにおける連結性を高めんとして日本が続けてきた努力と貢献は
いまやそのみのりを得る時期を迎えています。

まことに海のアジアとは、古来文物の交わる場所でありました。
みなさんがたインドネシアがそのよい例でありますように宗教や文化のあいだに、対立ではなく共存をもたらしたのが
海洋アジアの,すずやかにも開かれた性質であります。それは多くの日本人を魅了しつづけるのです。
だからこそわが国には、例えば人類の至宝アンコール・ワットの修復に孜々としておもむく専門家たちがいるのです。

それゆえ第四にわたくしは、日本とみなさんのあいだに文化のつながりがいっそうの充実をみるよう努めてまいります。

そして第五が未来をになう世代の交流を促すことです。これについてはのちほど申し上げます。

いまから36年前当時の福田赳夫総理は、ASEANに3つの約束をしました。
日本は軍事大国にならない。ASEANと「心と心の触れ合う」関係をつくる。
そして日本とASEANは対等なパートナーになるという3つの原則です。

ご列席のみなさんはわたくしの国がこの「福田ドクトリン」を忠実に信奉し今日まできたことを誰よりもよくご存知です。

いまや日本とASEANは文字通り対等なパートナーとして手を携えあって世界へ向かい、ともに善をなすときに至りました。

大きな海で世界中とつながる日本とASEANは、わたくしたちの世界が
自由で、オープンで、力でなく法の統べるところとなるよう、ともに働かなくてはならないと信じます。

ひととひとが自由に交わりあうことによって、互いを敬う文化が根ざすよう努めねばならないと信じます。

III 日本を強くする

みなさん日本には世界に対して引き受けるべき崇高な責任があり、なすべき幾多の課題があります。
しかしおのれの経済が弱まるなかではどんな意欲も実現させることができません。

わたくしにとって最も大切な課題とは日本経済をもういちど、力強い成長の道に乗せることであります。

伸びゆくASEANと結びつき海という海に向け、自らをもっと開放することは、
日本にとって選択の対象となりません。必要にして欠かすことのできない事業だからであります。

日本には資本があります。技術がありますし、社会の高齢化という点で歴史の先端を行く国ならではの経験も増えてきました。
不況が続き、一昨年は千年に一度の災害に見舞われ、多くの犠牲を生んだにもかかわらず、社会の安定はまだびくともしていません。

いままで育てることを怠ってきた人的資源もあります。日本女性のことですが
わたくしはこれらのポテンシャルを一気に開放し、日本を活力に満ちた未来を信じる人々の住む国にしたいと考えています。

いま日本人に必要なものがひとつあるとしたらそれは「自信」です。
夏に咲いて太陽を追いかけるひまわりのような「向日性」です。
かつて日本にあふれるほどあったものが、いま欠乏しています。

だからといってわたくしはなにひとつ悲観しようと思いません。
わたくしたち日本人が「自信欠乏症」にかかっているとすれば,
それをなおしてくれる人があり歌があるからです。ここからわたくしの話はみなさんへの感謝に焦点を移します。

IV インドネシアにTerima kasih

すでにみなさん、インドネシアの人々は、日本人にたくさんの自信と勇気を与えてくれました。
そのおひとりがこの場にいないのはとても残念に思えます。

インドネシアと日本が結んだEPAは多くの看護師を日本へ送りました。日本の資格を取ろうとする人も少なくありません。

それには難しい試験を突破する必要があります。

2011年の資格試験は地震が起きた直後に結果発表の日を迎えました。
難関を突破したおひとりが兵庫県の病院で働くインドネシア人の女性、スワルティさんでした。

合格発表を受け病院でスワルティさんが記者会見をしていたときです。喜びの顔が突然くもり彼女はこう言い始めました。

「福島県で,宮城県でも,津波がきました」

声を詰まらせたスワルティさんは病院の医師に向き直り涙で声を震わせながら言ったのです。

「私もできれば行かせてください,先生。みなを手伝いたい。お願いします」

スワルティさんは被災地の避難所へ入りました。
家屋の半分が流され500人以上の人が命を落とした町の避難所です。そこで彼女は不思議な能力を発揮します。
ショックのせいで泣いてばかりの少女がスワルティさんと話し始めると笑顔になりました。
年老いた女性がまるで孫に接するように彼女にほほえみをみせました。
不自由な避難所でそんな光景が生まれました。

「大丈夫です。これからみなさんピカピカの未来がくるので一緒にがんばりましょう」

避難所を去るときの、それがスワルティさんのあいさつでした。

Wahai sakura,(ワハイ,サクラ)
mekarlah.(メカルラー)
mekarlah dengan penuh bangga,(メカルラー,ドゥンガン,プヌー,バンガ)
di seluruh pelosok Jepang.(ディ,スルルー,プロソック,ジパン)

Mari Jepang,(マリ,ジパン)
bangkitlah.(バンキットラー)
bangkitlah, dengan percaya diri,(バンキットラー,ドゥンガン,ペルチャヤ,ディリ)
di dunia ini.(ディ,ドゥニア,イニ)

わたしの下手なインドネシア語は大目に見てください。この歌は歌詞がもともと日本語なのです。

「桜よ」という歌の一節です。
「桜よ咲き誇れ 日本の真ん中で咲き誇れ」「日本よ咲き誇れ 世界の真ん中で咲き誇れ」と歌ってくれています。

ジャカルタに大学生たちによる日本語でミュージカルを見せる「エン塾」という劇団があります。

2011年3月11日の悲劇を知り心をいためたエン塾の学生たちは
日本よがんばれ 桜のように 世界で咲き誇れという歌を、美しい曲に乗せてくれました。

そして5月1日30を超す大学から500人の学生がつどいすばらしい合唱をしてくれたのです。

わたくしは彼らの合唱を見、声を聞きました。そして深く感動しました。
いまから1分20秒だけお見せします。どうかご一緒にご覧ください。

ご列席のみなさま、この歌を作曲した青年がいます。
JCC,ジャカルタ・コミュニケーション・クラブで広報を担当しているファドリ君です。

そしてJCCを創立しエン塾の指導に努めてこられた先生、甲斐切清子さんです。

ファドリ君、ありがとう。やさしいインドネシアのみなさん。
みなさんと日本人は、みなさんが好きだという日本の歌,五輪真弓の歌がいう「心の友」です。

そのことをスワルティさんやファドリ君たちが改めて教えてくれました。Terima kasih(テリマ・カシ)。

V JENESYS 2.0を始める

わたくしはファドリ君たち、20年、30年先のインドネシアを担う世代の人々
ASEANの将来を引っ張る若者たちに、日本を訪れてほしいと思います。

エン塾のすばらしい学生たちにも日本のいろいろなところへ見に来てもらいたい。
そう思ってこのたび,ASEANやアジアの若者をお招きするプログラムを拡充し、強化することにしました。

ちょうど6年前のことになります。わたくしは日本の総理としてEAS参加国を中心に
ひろくアジア・太平洋各国から高校生や大学生、若者を日本へ呼ぶ事業を始めました。

ジェネシスという名のもと、当時のレートで約3億ドルの予算を当て始まったプログラムは
いままでにASEAN各国から1万4000人を超す若者を日本へ受け入れてきました。

これをもう一度「ジェネシス2.0」と名づけ熱意と感謝の気持ちを込めて始めることにいたしました。

ジェネシス2.0は3万人の若者をASEANを含むアジア諸国から日本に招待します。
どうですファドリ君、それからかいきり先生、どしどし宣伝してくださいませんでしょうか。

VI アジアの海よ平安なれ

40年前日本がASEANとパートナーになったころインドネシアの経済がこれほど伸びると想像した人が果たしていたでしょうか。

名目GDPの変化を比べてみますと、この40年の間にインドネシア経済は
10階建くらいのどこにでもあるビル程度の高さだったものが、スメル山の高さにまで伸びたことがわかります。

古来インドで生まれた仏教を大切にしてきた日本人にとって,スメル山とは須弥山(しゅみせん)と称し
世界の中心にそびえる山を意味しました。

インドネシア40年の達成をこのようにたとえてみることは、したがいまして,
われわれに二重の意味で、深い感慨を催さずにいないのであります。

わたくしはまたアチェに津波が襲って以来のみなさまの達成を、人類史が特筆すべきチャプターだと考えます。
それは復興と、和解、ひいては国全体の穏やかな民主化をともに達成した偉大な足跡でした。

わたくしはそんなみなさまインドネシアの隣人であることを誇りに思います。

初めにわたくしは、海に囲まれ海に生き、海の安全をおのれの安全とする国が日本であり
インドネシアであって、ASEANの、多くの国々であると申し上げました。

それはまたアジア・太平洋からインド洋に広がる一帯に住まうわれわれすべてにとって共通の条件であります。

そんなわたくしたちが一層の安寧と、繁栄を謳歌できるよう,
わたくしはきょう、日本外交がよって立つべき5つの原則を申し上げました。

わたくしたちにとって大切な価値の信奉。コモンズ、なかんずく海を、力の支配する場としないこと。
経済におけるネットワークの追求。そして文化の交わりと、未来世代の育成、交流を追い求めることです。

アジアの海よ、平安なれと祈ります。
そのため経済において強く、意思において強固で、国柄においてどこまでも開かれた日本をつくるべく、
わたくしは身命を賭したいと思っています。

インドネシアの人々に、わたくしは自分の決意を語ることができほんとうによかったと思います。
ご清聴くださりありがとうございました。






>いま日本人に必要なものがひとつあるとしたらそれは「自信」です。
>夏に咲いて太陽を追いかけるひまわりのような「向日性」です。
>かつて日本に,あふれるほどあったものが、いま欠乏しています。
>だからといってわたくしはなにひとつ悲観しようと思いません。
>わたくしたち日本人が「自信欠乏症」にかかっているとすれば,
>それをなおしてくれる人があり歌があるからです。

東日本大震災をきっかけに、かけだしは覚醒した。

被災地のために何が出来るか考える日々にあって、津波の襲来に、増え続ける犠牲に、
海の向こうで歓声を上げる民族がいることは、大きな衝撃だった。
これ幸いと竹島の軍備を強化され、日本企業を出し抜くため通貨安政策までとられ、
「なんとなく」あの国に好意すら持っていたからこそ、衝撃的だった。
人の不幸を祝う民族なんて、滅びろと思った。もちろん今も思い続けてる。

「大切な隣国」とメディアが、政府が持ち上げ続ける国は、震災に乗じてやりたい放題だった。

でも、多くの国は、想像以上に、日本の悲劇に涙し、犠牲を悼み、お見舞いと応援をしてくれた。
200億もの義援金を集め、支援してくれた国があった、
日本のために祈り続けてくれた国があった、人がいた。

多くの国は、過去の自国の災害時に日本が行った援助や救援に感謝の念を持ち続け、
恩返しをしたいと思い続けてくれていたのだ、実行してくれたのだ。






あの震災で、何が日本にとって大切なものなのか、本当の友人は誰なのか、知った。
日本人が自信を取り戻すきっかけになった。

日本に自信をくれた多くの国を日本が尊重し、共に歩んで行くことを、嬉しく思う。

最後に演説に出てきたスワルティさんの記事を転載させていただき、〆させていただきます。
インドネシア看護師が被災地行きを志願した話
http://mightyms.blog93.fc2.com/blog-category-7.html

「看護師国家試験合格 インドネシアのスワルティさん被災地へ」

今春、看護師国家試験に合格し、姫路赤十字病院(姫路市下手野)で勤務するインドネシア国籍のスワルティさん(32)が、
24日から東日本大震災の被災地、岩手県山田町の避難所に派遣される。2004年に母国で発生したスマトラ沖地震で、
日本の医療関係者から受けた支援の恩返しをしたいと、自ら希望した。
「当時、被災地で医療活動に従事した経験を生かし、被災した人たちを支えたい」と意欲を見せる。

スワルティさんは、日本との経済連携協定(EPA)に基づいて08年に来日。
母国でも首都ジャカルタ市近くにある病院の集中治療室などで約6年間、働いた経験がある。

死者、行方不明者が22万人以上になったスマトラ沖地震の発生直後、スワルティさんは小学校の敷地に張った仮設テントで
被災者の血圧を測ったり、点滴を打ったりしたほか、心のケアにも携わった。
日本の医療関係者が入り、救援物資も送られてきたことを報道で知り、日本で看護師を目指すきっかけになった。

東日本大震災の発生後、被災地の惨状が、当時の母国の様子と重なった。
「すぐに行きたい」と思ったが、日本国内ではまだ看護師資格がない。はやる気持ちを抑え、
2月に受けた試験の結果発表を待ち続けた。発生から2週間後の3月25日、合格の報が届いた。
外国人の合格は全国で16人、県内ではわずか2人の難関だった。

現在は新生児集中治療室で働く。病院から派遣される整形外科医ら8人チームの一員として28日まで現地入りし、
慢性疾患の人らの体調管理などを行う。福島第1原発事故で外国人の出国が相次いでいるが、イスラム教徒のスワルティさんは
「私は神様の意志で活動しているので怖くない。日本人の家族として、日本をお手伝いする」と話す。
(2011/04/23 08:10)

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